78月28日(日)三宮センター街入口。「つなぐ」会派、市政報告会。
木曜日, 9月 1st, 2022今日は、国葬の話をします。
戦後、ただ一回あった国葬は。吉田茂総理大臣です。
戦前は、駐英大使。
戦後は、マッカーサーと渡り合い、日本人の大方が餓死しないように頑張りました。
あれこれ批判はありますが、偉い人やったと思います。
戦後の日本を、リードするなんて、誰でも彼でも出来る仕事ではありません。
第二次世界大戦を引っ張ったイギリスのチャーチル首相と次のようなやり取りがあったそうです。
チャーチルさんは、1953年の「第二次大戦回顧録」で、ノーベル文学賞を貰っています。
チャーチルさんが、吉田さんに言ったそうです。
「あんたも、大東亜戦争回顧録、でも書いたらどうや」
すると吉田さんは、「あなたのように、文章は秘書に書かせて、自分はベッドに横になって、ブランデーをなめているような身分では無いから、書けない!」と、笑ったそうです。
すると、チャーチルさんは、「ひとつだけ、間違いがある。ブランデーじゃなくて、スコッチや!」
進駐軍の総司令官やった、マッカーサーとは次のようなやり取りがあったそうです。
吉田さんが、日本国民に必要な小麦の量について、マッカーサーさんに紙を渡したそうです。
マッカーサーさんは、部下に検討させた結果を吉田さんに言ったそうです。
「ちょっと、数が多いのとちゃうか!」
すると。吉田さんは「そんな計算がちゃんとできるぐらいなら、あなたの国と戦争なんてしていない!」と、にっこり、笑ったそうです。
「外交は、これ位、ユーモアが無いと!」
このふたつの話は、いま話題の岸総理の後の池田総理から聞きました。
昭和35年から40年まで総理大臣でした。
「所得倍増計画」「私は嘘を申しません」「貧乏人は麦を食え」の池田総理です。
問題発言も多い人でしたが、豊かな日本の道筋を作った人です。
彼を、野村證券が応援していました。
野村証券の役員で、池田総理付の方が、わが父の親友で月に一回、わが家に来て、政治のあれこれを教えてくれました。
わが父は、毎日新聞の編集局長を勤めていました。
二人の飲みながらの話を、高校生の私に「良く、聞いとけ!」と座らされました。
興味深かったです。
なるほどなあー、と共感することも多かったです。
吉田さんぐらいなら、国葬は許されると、激しく思います。
ありがとうございます。
神戸市会議員 浦上忠文
E-mail: tadafumi@uragami.jp
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