月刊「大演説」

7月31日。朝起き会、演談より。

月曜日, 8月 2nd, 2021

オリンピックが熱く行われています。

今日は、母さんの話をします。

オリンピックと来れば、母さんを思い出すのです。

57年前の東京オリンピック。

10月10日から始まって、24日に終りました。

母さんは、その真ん中の日、17日に亡くなりました。

白血病、10月1日から入院していました。

54歳でした。

私は高校3年生。18歳でした。

 

元気な人でした。

兵庫県神崎郡鶴居村、現在の市川町出身です。

昔は、庄屋さんをしていたようです。

背が高く、姫路の女学校の頃には、その頃の日本記録ぐらい走り高跳びを飛んでいたと聞きました。

走るのも速く、昭和の初め頃、東京女子大で「ホツケー」もしていたそうです。

その頃、富士山に登った話も良く聞きました。

今と違って、女性が富士山に登るのは珍しかったようです。

女子大の寄宿舎に泥棒が入ったときの武勇伝も、名調子でした。

棒のようなものを持って、泥棒を追いかけ回し、捕まえた!

 

昭和8年頃に大阪毎日新聞に勤めていた父と結婚し、西宮市今津久寿川というところに住んでいました。

昭和9年の室戸台風の時は、水が来て、押し入れの上の段で泣いていたそうです。

昭和20年8月6日の空襲で丸焼けとなりました。

 

「日本はこれからどうなるのやろ」ということで。

父の故郷、岡山県吉備郡足守町、今の岡山市北区足守に住むことになりました。

そこでは父の父さんが医師を開業しておりました。

母さんは、そこでは田んぼの仕事をしていたようです。

私は、昭和21年4月の生まれですから、田んぼに連れて行かれていたということは、後に聞かされましたが、記憶にはありません。

 

日本も、ようやく落ち着いて来た昭和25年に、大阪市北区堂島の毎日新聞の社宅に移りました。

昭和26年秋には、西宮市に家を建て、転居。

昭和29年には東京に転勤となり、一家で引っ越しました。

大学1年の姉。高校2年生の長兄。中学1年の次兄。小学2年生の私です。

 

それから10年。

風邪を引いたこともありません。

「しんどい」という言葉を聞いたこともありません。

兄や私の学校のPTAには積極的に参加して、運動会などで、度肝を抜く速さで走っていました。

 

みんなが仲良く、円満に暮らせる世の中を創ろう!が、モットーでした。

大相撲でも、みんなが八勝七敗か、七勝八敗なら良いのにねえ!と言っていました。

そんなんやったら、大相撲は進化しない、スポーツは強いものに弱いものが挑戦するから進歩するのや、と注意を受けますが、私は、母さんと同意見です。

力士のお母さんが、みんなにこにこ出来るように!

という母さんでした。

ありがとうございました。


神戸市会議員 浦上忠文
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