堂島川と土佐堀川。

朝鮮戦争が始まった頃、大阪のまちには、進駐軍が走り
回っていました。
進駐軍の車を見つけると、少年達は「ハローや」と叫ん
で走り寄りました。ガムや、チョコレートを求めてです。

ガムやチョコレートは、御堂筋に出て堂島川にかかる大
江橋をわたり、中之島公会堂に行き、神様の話を聞き、
賛美歌を歌うともらえました。これは、夜のことです。

家に近い筋は四つ橋筋です。
歩いて5分で、堂島川の渡辺橋。そこには、朝日新聞が
あって、土佐堀川には肥後橋がかかっていました。
その辺までは、三輪車に乗って出かけました。

焼け落ちたままのビルがたくさん残っていました。横筋
の道は、舗装工事があちらこちらで行われていて、我々
はアスファルトを盗んで、ただひたすら火をたいて溶か
して遊んでいました。

アスファルトの沸騰する匂いは、近代化というものの、
私にとって元祖の匂いです(笑)

神戸市会議員 浦上忠文

 

 

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