私の履歴書・・・録音NO3
私が「適塾の人々」という本を書いたのは、父たちが建立
した「緒方洪庵生誕の地」記念式典の時に、慶應義塾塾長
が「洪庵先生の偉さは、石碑をひとつ建てて済むようなも
のではない】と言われたことが始まりです。
私は、郷土の偉人と言うことは知っていたけど、そこまで
の人とは知りませんでした。当時、私は大学生でしたけど、
洪庵が本拠とした大阪に仕事を見つけて、必ず洪庵先生を
顕彰する本を書こうと決意しました。
両親からは「医者になれ」と強く言われましたが、第六高
等学校までは医学専攻の「理科乙類」まで進みましたが、
生れつき血を見るのが嫌な性分で、医者の道は進めません
でした。母は、刀を取り出して・・・。
「わしと死んでくれ」と迫りました。小学校の校長だった
福武先生が「君は、文章が得意や。医学の道に進めなくて
も、文章で医学を支えることは、いくらでも出来る。と、
励ましてくれました。

