私の履歴書・・・葬儀の段取り!
ひとしきり悲しんだら、お通夜、葬式をどうするかです。
それらは、父の会社の方が進めているようでした。長兄と
次兄は、一足早く家に帰って、座敷の箪笥を茶の間に動か
すようでした。
父と私は、寝台車の乗って、母を家まで運ぶことになりま
した。「国立競技場を通って、聖火を見せてあげようや」
と提案しました。父も、大いに賛成して、代々木周りで下
北沢に帰ることになりました。
帰った家の前には、近所の方が沢山おられました。なんで、
亡くなったことが解ったか分りませんが、母は、人望の厚い
人でした。「生長の家、の熱心な会員」華道の草月流師範、
PTA会長、地元の婦人会長、舞踊花柳流。俳人。
衆議院議員の後援会役員、誰かれなく、世の人を助ける人
でした。その時代は、そんなものかも知れませんが、靴は、
ぺたんとした「茶色い靴」一足しか持っていませんでした。
そんな母さんですから、葬儀は北沢警察署に怒られました。

