私の履歴書・・・納骨
菊正宗を落さんように、2本下げて浦上医院に帰ってき
たことは昨日のことのように、はっきり覚えています。
大光寺の和尚と、父と小学校から友人の杉原医師、隣の
牧野さん、裏町の杉本のじいさんらと飲みました。
大光寺では、「文屋=ふみや」という石屋さんが待って
いました。お墓の前の石をずらして、母の遺骨と、昭和
10年に14歳で亡くなった父の妹さんの遺骨を納めま
した。妹さんは、バーサン自慢の子どもやったそうです。
浦上和子といいます。写真の前に、バーサンは、毎朝炊
けたご飯を真っ先に供えていました。岡山高等女学校の
口頭試問で「私の母は、身体が弱いので、看護婦になっ
て母を助けたいです」と、言ったそうです。
小学校5年生の時に作ったという「あをあをと生え茂りた
る夏の原子らみな雲と走りごっこす」という歌が、台所の
裏の壁に書いてありました。結核で亡くなりましたが、わ
が姉の「千鶴=ちず」という名前の命名者だそうです。

