私の履歴書・・・三男誕生。
家族は、しばらく足守に留まることになりました。両親
からは、この先、日本はどうなるのじゃろう。もう一度、
大学へ行って、足守で医者になってはどうかとと、勧め
られました。
日本の先行きは解りませんが、大阪毎日での働きは、力
が入るものでした。翌年4月に、三男の男の子が生れま
した。父が、これからは「文化日本や言うとる」という
ことで「忠文=ただふみ」と名付けました。
男の子3人は、忠臣=ただおみ、戦争前らしい名前です。
次は忠之=ただゆき、遠い先祖の紀貫之からとりました。
そして、忠文です。私と同じ、足守の浦上医院の座敷で
生まれたことに親しみを感じました。
忠文が生れてから、滅多に帰れませんでしたけど、満員の
汽車で足守に帰るのが楽しみでした。「いつ、何時に帰る」
という連絡がとれる時代ではありません。いきなり、土間
に現れて、みんなのびっくりする笑顔が楽しみでした、

